時には「介護者ファースト」でも。

「介護スタッフのメンタルヘルス」というと、

 

私が老健施設に勤務していた時のある女性介護士のエピソードがあります。
やたら頻繁に「キツイ、キツイ…」と言いながら仕事をしていました。
とにかく口癖のように発していたので、
周りのスタッフも心配や労いよりも
 
「利用者の人たちが心配するし、
   聞いて感じのいい言葉ではないから口にしないでほしい」
ということを言っていました。
 
そのうち、「利用者の方に対する言動や勤務中の態度が良くない」と苦情や指摘を受けることがあり、
何度か談を行いました。が、言動や態度は良くなるどころか荒々しさがエスカレートしていきました。
 
最初の面談ではそうなってしまう根本的な原因は何なのかを尋ねても本人も「わからない」と言っていましたが、
何度目かの面談で、原因と思われることを一緒に紙に書き出していくと、
その原因は「更年期による不調」だということがわかりました。
 「更年期の症状が重くて辛い。そのせいで介護を優しく丁寧にと思っても、そうできず当たってしまった」
 「周りのスタッフはみんな若いし、介護業務についていけない」ということだったのです。
 
そうと知って、私はそれに気づいてあげられなかったことを申し訳なく思い謝りました。
 
  どうして「キツイ」と頻繁に言っていた時に、
 
  何かしらの声かけをしてあげられなかったのか。
 
  もっと早く気づくことができたなら休みやシフト調整、配置換えなどの
  何かしら組織としても出来ることがあっただろうし、
 
  そうしたら利用者の方や周りに悪い影響を及ぼすようなこともなく、
 
  何より本人の負担が少しでも軽くなるような対応ができただろうとー。
日頃からよく思いますが、私たち介護士も人間だし、それぞれの年代において、
 
その年ごとの不調をきたす心身の変化があります。
 
それが原因で介護が辛くて、ストレスから利用者の方や周りの人に当たってしまう。
自己嫌悪に陥ってそこでジレンマが生じる。
 
似たような経験を私もしたことがありました。
この悪循環にどんどん陥らないようにしないといけません。
 
そうしないと、まず自分自身が潰れてしまいますから。
時には介護者1番で自分を大切にしていいのではないでしょうか。
自分を大切にしてこそ他者を大切に思えるものじゃないかと思います。
セルフケアを基本にしつつ、この本の記事にあるように、
組織的にも介護スタッフのメンタルヘルスをサポートできる体制やスキルがあると
個人はもとより、周りみんなの健康的な活動や生活につながっていくでしょうね。
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「お手伝い」は「介護のセンス」を磨く?

「お手伝い」がもたらす「ボランティア精神」や「介護」への影響って何だろう。

何かしら関係があるだろうな。

そして、そもそも自分から進んで「お手伝い」ができる人、

子供、大人関係なくどのくらいいるんだろう。

 

最近、そんなことを考えながら介護をしています。

 

私は、今どき珍しい8人兄弟で、祖父母と両親と暮らし育ちました。

 

家族みんなが何かと協力し合いながらでないと、

両親、特に母親は朝早くから夜遅くまで、夜中でも、

一人で子育てをして家事をしないといけません。

育児や家事とひとことで言っても、子育ての経験がある人ならわかると思いますが、

子供一人でもその心身にかかる負担は結構なものだと思います。

父親はほとんど家事的なことは何もできない人であれこれ母に注文をする人なので、

8人の子供+α(父親)ですから、それこそ母は休んでる暇などありません。

 

いまになってよくよく思い返してみると、

座ったなと思うと、すぐに席を立って何かしているという状況でした。

でも、私の母はそういう状況でも、よく笑っている人でした。

いつ声を掛けてもうるさがるような表情や言葉を発したことがありませんでした。

大変そうだなと思ってお手伝いをすると、母も祖母もよく褒めてくれました。

「あら、上手だね!」

「すごいね、そんなことができるの?」

「お母さんとおばあちゃん、助かっちゃうな。」

「今日は、お手伝いしてもらったから、ゆっくり休めるよ。ありがとうね。」

なんてことをよく言ってくれました。

そして、それは意図的なのかどうか分かりませんが、

母も祖母も他の兄弟や家族がいる場所で言うんです。

なので、他の兄弟が特に自分より年下の子たちが「褒められること」を羨ましく思って、

次からは同じように真似て「お手伝い」をするようになってました。

ひどいときは、「お手伝い」の取り合いみたいなことになってしまって・・

あちこちでまとまりなく子供たちが動くので

母と祖母の目が行き届かず気づいてもらえず誰も褒められないみたいなこともあって(笑)

 

自分が幼い頃にお手伝いをして得た感覚は、

いまでも思い出すと母や祖母の笑顔がふっと浮かんできて

私に満足感や充実感を与えてくれます。

手伝ったことなんて、母と祖母が調理している間に食卓に箸や茶碗を運んで並べたり、

洗濯物をいっしょにたたむ程度の簡単なことでしたけど、

そんなちょっとしたことでも感謝されたことで

自分が家族の役に立てるという実感でした。

 

声を掛けたときは笑顔だけど、動いている時は大変そうに見えるその表情や姿を子供ながらに見て感じ、

自分ができることをやってきたお手伝いで褒められたことは、私の自己有用感を育んでくれました。

この自己有用感は、大人になるにつれて

自然と「自分は社会で役に立つ人になりたい」と思うようになり、

いまでも、「自分が何をすればその人が笑顔になるのか」ということを

自然に考えることにつながっています。

 

いま、私たちが行っている在宅介護の支援は、

有償ボランティア活動として行っている事業だということを話すと、

「お手伝い」や「ボランティア」という言葉に対して

「それをやると何かもらえるの?」と返してくる方がほとんどです。

自分が誰かのために何かを行ったことに対する見返りや報酬を期待する人が多いように感じます。

それから、その場面ごとに何を手伝えばいいのかの判断ができないという人もいます。

言葉を変えると「気が利かない」とも言えると思いますが、

こういうことを通じて、幼少期からの家庭内における教育という部分で「お手伝い」をするというのは、

人間性を育む大切な学習の機会ではないかなと思います。

 

「お手伝い」が自然と身についている人は、

あれこれ考えなくても相手の様子や動きを見て、気持ちを察し、

考えている間に行動しています。

 

介護の場面では、こういうことが最重要視され、必要とされます。

それは、ある意味「介護のセンス」じゃないかなとも感じます。

 

私はひとりの大人として、

また、ボランティアの力で在宅介護を支援する事業を行うひとりの人間として

家庭内だけでなく学内や地域において、

お手伝いを自発的に行う人の姿を見たときには、

積極的に感謝の言葉をかけていきたいです。

 

そういうことがよりよい介護人材を育成することや、

地域の支え合いを高めていく機会につながるものと思うからです。

 

 

 

 

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介護の歴史から思うこと。

時代が変わるのと同時に、私たちの暮らしも暮らし方も変わります。

 

介護はもともと家庭内で家族が行っていました。

戦前も戦後も介護が必要な方々がいて、

いまのように便利な介護用品や機器類はもとより、

安全で安楽で安心でという介護の方法に関する知識や技術もほとんどない中、

唯一、介護が必要な家族を思いやる気持ちで介護をしていたのです。

そうして繰り返し、繰り返し、

日々の暮らしの中で介護をしながら出てきた知恵や工夫を活かして介護をし、

介護をうまく家庭内でするコツを得てきたのではないかと思います。

 

やがて、時代が変わり

人や物、お金、そして人が生活していくうえで必要な衣食住、

また、それらに対する価値観も変わり、

介護は社会全体で支える仕組みとして介護保険制度が作られ、

介護は家庭内から社会化へと変化し、いまもなお進んでいます。

 

私は介護をしている時に思います。

 

私たちがいま生業として行っている介護は、

自分が生まれる前の時代、家庭内で介護をしていた人たちの勘やコツ、

思いつきやアイディアなどの「知恵」、

そして、ただひたむきに家族をみるという「想い」が活かされているんだと。

 

介護サービスとして介護の社会化が進むにつれて

どこか置き去りにされているように感じてならない「人が人を思いやる気持ち」。

 

介護士としてより良い介護、

地域社会でより良い介護社会づくりを目指す一員として、

いまにつながる介護の歴史があることを忘れずに、

人を見る介護を繋いでいくことを継承していきたいと。

 

 

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くらしアシスト りう 2つのアシストメニューをご紹介します!

くらしアシストりう には、2つのアシストメニューがあります。

「訪問介護ではお願いが難しいことでも りう なら頼めて助かる!」と、大変ご好評をいただいております。

今日は、その人気の2つのメニューをご紹介しようと思います。

 

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